災難

法学部の自治会の自治委員になってしまった。
もはや使役、強制的である。

学部入学式の後の自治会の宣伝では、法政大学で起こっている学校による学生の「管理」が問題である、と繰り返し強調され、まるで大学当局は学生を完全に無視して暴虐なことをしている敵だとも聞こえた。

この当局に対して学生が抗議、討論をしていくという。

一種の「アカ」、「急進的革新派」、「洗脳狙い」と思ってしまった。
もしそうならばこれは災難、である。

いやもちろん、大学当局が全ての学部生の要求を満たせるとは思っていない。
だが、私はそれでも大学で何とか学びぬいていきたいと思っているわけである。
革新は確かに必要であるが、強烈なものはいらない。それはただ学生闘争を生み出すだけである。

私が大学に求めるのは、知識に飢えた学生たちに知識を与え、議論したがる学生に議論をさせるなどして、学生たちが勉学を通じて心身を磨くように働きかけることである。
従って、私もそう出来る学生になりたいわけであって、決して大学と激突をしていって勝利を収めたいわけではない。その勝利は空ろなものであり、自分の内実が成長出来るとは到底考えられないからだ。例え議論の方法などを学べるとしても。

自治委員の方に質問をする機会があったら、自治会が目指す「学生の自由」とは何か、「責任」を伴わないものでないか、そして自治委員を教育して洗脳し、自治委員の自立性を失わせる考えが一欠けらでも存在しないか、問うてみたい。

私は決して個人主義を完全だと思っているわけではない。かといって、個人を完全に殺して集団のために働くことを美しいこととも思わない。そんな人間である、私は。

自治会を完全な悪とは思っていないが、あまりにも大学との対決姿勢を強めすぎるきらいがあるのならば、私は責任を持って自治委員の活動を行うことは出来ない。自治会の行動指針に自治委員としてサインをすることは出来ない。